Thursday, March 30, 2006

献金の額

 きょう リンクを辿っていて注目すべきブログに行き当たった。そのテーマは「献金問題」

 献金問題、すなわち献金の金額は古くて新しく、いつもまじめな新(旧も)信徒を悩ますテーマである。きょう見つけたブログ氏は、この金額問題に真摯にとりくみ、自分なりの基準を見出したようだ。その過程・根拠が興味深い。これも、一つの見識、一つの信仰。

  自分も、いまだに迷いがある。とくに什一献金についてである。「什一」とは、月定献金額がそうあるべきか、それとも礼拝献金と月定献金を合わせて“什 一”か? 高収入者の十分の一と低額所得者のそれとは重みが違うのではないか? でも、このような発想をすること自体、信仰が薄いのか?

  ある教会では、什一献金について記されている聖書箇所を事ある毎に引用し強調する。

  什一献金をすれば(経済的に)祝福される。かっこ内は言わなくともあ からさま。祝福されないのは、献金をきちんとしていないからだ。そういわなくとも言外の雰囲気で明らか。説教で取り上げられる「祝福された証し(実例)」 もそのような報告 ばかり。牧師自身も、「教会で一番多額の献金をすることを目標としている」と広言する。 ああ。。。

 このようなことを書くのは、不信仰の故か、ひが目(ひがみ)か。。。 什一献金についての現代の正答は、人間は出せないのではないか???


Wednesday, March 29, 2006

神の言葉と礼拝説教

 説教は、牧師が自分の考えを開陳することではない。「神の言葉を取り次ぐ」と言って、聖書を部分借用し、牧師が自分の考えを信徒に押しつけることがあってはならない。
 
 

Saturday, March 11, 2006

わたしに響いたキーワード−−「成長」

 「成長自体を目的とすべきではない」(都留重人、11日朝日の天声人語から) 

  これは先日亡くなった著名な経済学者のことばだが、教会の世界でも同じこ とが言えるのではないか? 「教会成長」「伝道第一」「リバイバル」「出席者数○○○人」などスローガンが掲げられる。実績成果重視のためだけの目標と紙 一重。人心掌握や経済的理由または教会リーダーの満足が第一になってはいないか? 

 教会成長(人数増加)を最優先することが、本当に神に喜ばれることか?