Thursday, February 11, 2016

葬儀は人間関係の成績発表!

無事に愛する人の告別式が終わった。悲しみと安堵感、そして傷心も。

毎回、葬儀では傷つく。でも赦さなくては? 日頃の自分自身の人間関係の結果がはっきりと表れたとおもう。

司式者の牧師先生は心を入れて執り行ってくれた。式の中でそう感じた。式が終わってから、葬儀社のK氏が「いつもより力が入っていましたね!」と言ってくれた。嬉しかった。やはり、そうだったか。自分もそう感じていた。

司式者は、時には見ず知らずの人の葬儀をしなくてはならない。無理もない。きのうの葬儀には感謝。しかし、他の人に大いに傷ついた。Mrsは一度も顔を見せない。裏にいるのか、いないのか存在自体がわからなかった。

もうひとつ いちばん傷ついたこと。盟友畏友と思っていたT夫妻が欠席したこと。入院、召天の際つど電話で連絡していたのに。葬儀の日取りは、教会での召天発表の集会に出席していたので通知しなかった。知っていて当然と思って改めて連絡しなかったので。

そうしたら葬儀後の当日夜、電話が来た。「葬儀はいつでしたっけ? (連絡がなかったので)。たとえ通知されても予約の予定があったので出られませんでした」 こんな言い分ってあり?  いつもは気遣ってくれている、さすがの彼にも少し腹がたった。彼も老いたか。それほでしかない関係だったのか。(※愛する者との死別の直後は気持ち過敏になり過剰反応を示す)


いっぽう、出席できないと言っていたU夫妻が会葬してくれた。嬉しかった。そして斎場で最期までつきあってくれた。これが本当の友だとおもう。

訃報を知ってから教会で慰めの言葉を多々言ってくれた人も、葬儀には出てこない。昼の葬儀だから、仕事や都合もあったのだろう。でも。。。。。

でも期待していない思わぬ人たちも会葬してくれ、芳志もいただいた。うれしい。すべてはみこころのまま? 裁いてはいけない、一喜一憂してはならない。万事を益にして下さる神だから。


※自分も同様に、こうやって全く気が付かないところで親しい友たちを傷つけていただろうか。主よ赦し給え!