Wednesday, November 26, 2014

去華就実

先日のNHKテレビ「あさイチ」で、ゲストの武田鉄矢が語っていた。間違って解釈してしまったと言う彼流の「去華就実」の解釈を。本来の意味よりも、こころに届く解釈であった。

「花が散って、実が成る」 花が散らなければ、実はならない。立派な実がなるには、花が立派でなければならない。この違った解釈のほうが、はるかに良い。

これを聞いて、すぐ思い浮かべた人がいる。日野原重明氏と◯◯牧師。何才になっても、花をさかせようとする? 

日野原氏は例外的存在。稀有な人である。だれもがこの人のようになれるものではない。この人を目標にすることは、新入社員に向かって「頑張れば将来、きみも社長にもなれる」と説くようなもの。

個人的に目標にすることはいいだろう。それを信徒に受け入れさせようと押し付けるのは??? 人は歳を取れば例外なく老いる。身体も頭も・・・。やはり、実をつけることにシフトすることが自然の理ではないか?